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全60件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  |  《前のページ |  次のページ》 

えっちな本

 投稿者:圭吾  投稿日:2008年10月 9日(木)22時50分12秒
  まるでえっちな本をそのまま再現って感じだったよ!!
僕の精液が相手の子の顔を汚して、その子の愛液が僕のアレを濡らしてって感じで
互いに満たされてんのに、俺が金もらってよかったのかなwww

http://tinyurl.com:80/42axmv/U6fSarD/

 


飛鳥紀行「御霊奉安」

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年12月 7日(金)23時40分31秒
  玉枕氏の「みたまの奉安」に谺(こだま)する。
>河内の天皇陵古墳めぐりに参加する。
>作業に携わった人々の統制は如何に?言葉は通じ合えたか?

日本には古代朝鮮の写経があったことは、審詳の蔵書目録や正倉院文書からも確認され、管見に入った唯一の例は『華厳刊定記』で、巻五の巻末識語に「延暦二年(七八三)十一月廿三日東大寺に於いて、新羅正本と自ら交勘を畢る・・・・」とある。新羅の学僧の著書は日本で尊重され、写本として中世に伝わり、江戸時代には刊本もあり、朝鮮に滅びた書籍がかえって日本に多く残っている。私は現在多く伝存する古写経の中に、あるいは中国古写経とされるものの中に必ず「(古朝鮮・この三文字筆者加筆)三国の写経が含まれていると思う。三国の写経としては、先に紹介した新羅の「大方広仏花厳経」しかないので、比較には大きな困難を伴なう。しかし印刷物であるが新羅の『無垢浄光大陀羅尼経』や、高麗初期の仏典が参考になるであろう。正倉院には朝鮮の文物として、さわり、(サバリ=どんぶりのこと、皿ではなく縁のあり底が深い丼や、縁を有する平面な器の総称、現在の日本では、主に仏教用の貴重な備え具になっているが、朝鮮では、食器・器「さばり」として普段の日常食器として使用されている。筆者注。)新羅製の墨や琴などがある。私は写経の場合と同様に正倉院宝物の中に、さらに技術の優秀性のゆえに中国製と推量されているものの中にも、先にみた時代背景からして、むしろ朝鮮三国製とすべきものが多く含まれているであろうと考えている。

             大宰府には高句麗、百済、新羅の使臣が来て、それらの国々
奈良で話された新羅語  の言葉が話されていた。奈良でも新羅へ留学した学僧たちが
             渡来僧と新羅語を話し、今日のフランス語のように文化国へ
             の憧れを秘めた、ハイカラなインテリ用語であったと思う。
             場合によっては奈良の寺では新羅語の講義もあったであろう。
             思うだに心躍る光景であるが、当時の記録が多く伝わる中で、
             どうしてその痕跡が文字として残されていないのであろうか。
             その出現を望むのは無理であろうか。

「富山大学 藤本幸夫氏論説・『言葉と文字』中央公論社240頁。」

ご旅行後の『紀行文』を楽しみにしています。
 

語源を尋ねて

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年12月 7日(金)12時01分22秒
  土龍さん今日は。
なるほど! おっしゃる通りだと思います。根拠は「くだりもの」が京・上方からのもので、「くだらないもの」・「つまらないもの」が江戸在云々。この言葉は和訓が日本国内で成立し、夏目漱石の標準語が書物になる前後に定まった?ものであったらろうと想像するから。夏目漱石以前は、お互い言葉の通じないことで、大変だった模様ですね。

わたしが参照した韓国側の書物『王仁と日本文化』は、大分韓国びいきな面がうかがえ、船着場の地名「くとれ」に、日本の和訓「江戸前期・ふじわらせいか・以後」に出来た江戸前のことばを譬えたのは、だいぶ無理があるみたいです。
 やはり、韓国側の件の「くとれ・たとえ」は、渡来文化・河内王朝の歴史的背景とは切り離して研究すべきかとおもいます。
 ご指摘のレスに感謝・多謝。
 
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百済・国の呼び名

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年12月 6日(木)17時50分49秒
  SIG歴史フォーラム・日本史ボードと重なるが、
百済(古代朝鮮半島南西部の国ノ呼称)日本ではごく自然に「クダラ」と読む。ところが本場の韓国ではこの「クダラ」が通じない。史学者も一般の人も「ペクチェ」でないといっこうに話が進まないばかりか、この日本的名称を狐につままれたような顔をしてウム?といったような顔になる。
 日本の大阪の市内には、クダラ駅がある。この駅の漢字書きは「百済駅」である。近い所に百済橋さえある。日本語で百済を「くだら」と言う。それは韓国の白馬江の扶餘(ふよ)の方に「くとれ」船着場があった。昔、百済人が毎日順番に船に乗って日本へ渡って行く時、この「くとれ」船着場を通して行った。百済のという文字を「くだら」と伝播させて読む由来がここにある。そうして、現代でも日本人は「つまらない」という言葉を「くだらない」と言う。その言葉は即ち「百済でないもの」又「百済にないもの」は、「役に立たない」「つまらない」と言う言葉である。おそらく昔の河内地方に落ち着いた渡来人が、日々の生活が落ち着いて来ても、折りには、郷愁やるせない心情が、ことが巧くいかない折に発した言葉がその語源ではあるまいか。
 河内王朝を作り上げた応神天皇は、果たして何処から来た人物であるか?という問題に対する歴史的論難(はっきり韓国から来たと描写した『書物・もある』)も長い間続いている。
 河内王朝史をつぶさに研究してみる必要を感じる昨今である。
 

江口素里奈著『江田船山古墳鉄剣銘の秘密」の感想評に答える

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年11月29日(木)20時06分9秒
  私の書物に見る『江田船山古墳鉄剣銘の秘密』七十五文字の解釈にご賛同とのお話、著者妙利につきます。
埴原先生の書物を参照云々ですが、700年代の渡来人は朝鮮半島からの者が100%と決め付けたような描写は、わたしの勇み足であるかも知れない。爾後もっと幅を広めて研究しなおすことをお約束いたします。
因みに700年代に成った『古事記』の撰者は安萬呂(アンマンヨ)以外にも中国系の学者(名前・時間の都合で書・探し略)も存在・関与し、『古事記』完結の後、安萬呂とともに受爵や広大な土地を褒美に頂戴した記録もある。
気になって、埴原先生の書物七世紀以前のことを書かれた『人類の進化・試練と淘汰のみちのり』講談社刊を この際みなおしたのでありますが、 “筆者(埴原氏)は一九九一年に、日本人集団の成立過程に関する「二重構造モデル」という仮説を提出し、現在の日本人が少なくともふたつの要素から成り立っているという考えを公表した。その要素のひとつは、最終氷期の後半に日本列島に移動してきた東南アジア系人びとで、彼らが縄文人の祖先集団となった。 また第二の要素は、縄文時代末期から弥生時代以後渡来してきた北東アジア系の集団である。そしてこれらの二つの集団が徐々に混血し、また文化的に混合して今日にいたったのが現在のわれわれ日本人である。“
著作権の都合でこれ以上転記することは遠慮する。
 こうしてみると、弥生の古から、日本列島には、原住民よりか、外来の(渡来人)人々による構図・構成は変わらない感じです。
 父(アボジ)・母(オンマ)を現す言語のことですが、わたしは、これを描写する手前時点で、筆者自らインド大使館、そしてスリランカの言葉を研究しておられる、方々に直接確認(アボジ・オンマは現在も共通する。)したものであります。取ってつけたのは、『三国遺事』にみる(それ以外に朝鮮半島にくっつける記録がない。)金首露王の后がインドから到着した云々の記録を自著の紙面の舞台にしたまでであります。従って大野 晋氏のことはわたしの紙面と全く関係ありません。勿論同氏のお名前と存在は書く時点で脳裏をかすめたことはあっても。
至らないところは、向後出版予定の原稿で同じ批評を頂戴しないように留意します。
末筆ながら、お褒め、お叱りを頂き感謝します。前者後者とも、励ましのお言葉と解釈します。Thank you again.
 拙著のことが、韓国MINDAN新聞(11.7日)の文化・読書欄に掲載されました。
記事まで併記すると紙面が2頁にまたがるので、割愛します。
 
話題を提供しよう!テーマスレ

東アジアの150年

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年11月28日(水)00時30分14秒
  日韓や日中関係を一方の当事者の目から「對」でみるよりも、第三者の目でみれば、お互いがもっとよく分かる。韓国から日本を見れば悪魔に見え、日本から韓国を見れば、遅れて野蛮に見えるかももしれない。だが、それでは、まともな説名にならない。
 隣国に住む者として日本の存在は大きい。「日本の植民地になった方が得だ」と言われて、朝鮮は植民地にされた。だが、それは他の帝国主義国の支配より苛酷だった。日本自身が貧しかったから朝鮮を激しく収奪した。

(以下参照者の私見)
そればかりか、日本はただ収奪するに止まらず、施政方針にも問題があった。
例:英国と日本との口約によって、片やインドを、一方日本は朝鮮半島を手中に入れたが、両者のやり方は、天と地の違いを見た。前者は、如何なる場合も話し合いで事を処した、その延長線上にガンジーの「無抵抗の抵抗」が生まれる余裕があり、またアヘン戦争の約束であった99年9ヶ月満ちて香港を返還するにあたり、現地人は、英国人が引き上げることなく、政庁の政務のみ中国に返還して、現状維持を望むほどであったのに対して、後者は、直接に現地人(朝鮮人)を殴打・日本刀で斬首するようなことをして現地人の息の根をとめるやり方であった。村山談話「日本は国策を誤った」があり、一時、朝鮮半島人の心も柔らいたかと思いきや、最近は、再びそれを否定する政治家も現れているようである。善隣友好・遠くの親戚よりも近くの隣人と手を取り合う日の近からんことを切にねがってやまない。      (07.11.27日 朝日新聞『歴史は生きている』権 五氏の論説を参照し、私見を加筆した。)
 
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古代石器発掘

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年11月26日(月)21時34分51秒
  韓国中部・万水里(マンスリ)遺跡出土の旧石器=[写真、漢陽大提供・便宜上省略]の年代を調べていた松藤和人・同志社大学教授(考古学)ら日韓の共同研究班が、約57万〜53年前のものと割り出し、25日まで同大学で開かれた国際セミナーで発表した。万水里遺跡は韓国・忠清北道で、05年に発見され、最下層から韓国で最古級とみられる石器3点が出土した。(記事そっくり転記する場合は、手続きを取らないといけない。省略)詳しくは2007・11・26日朝日新聞夕刊東京版18面参照」。

先の日拝読した著書『神々の汚れた手』奥野正男氏の著書・梓書院刊[2006年・毎日新聞文化賞・受賞]「旧石器捏造・誰も書かなかった真相」の書物が思い出される。

同志社大学には、松藤和人教授の先ノ方で、森 浩一氏「考古学」がおられる。

年代を判定することは、何万年前の朝鮮半島と日本列島との関係の究明を窮める絆にもつながる。ご研究の進展を期することはいうまでもない。
 
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お伺い

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年11月23日(金)23時46分10秒
  当HPの管理人(ご本家)を存じ上げないまま、無遠慮に投稿を重ねておりますが、
ご迷惑ではないでしょうか。
気になっております。
 
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渡来人[狛氏」の足跡

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年11月21日(水)13時50分53秒
  高麗寺跡から最古の築地塀発見!

“京都府木津川山城町の高麗寺(こまでら)跡(国ノ史跡)で、境内を囲む築地塀(ついじべい)の一部が倒れたままほぼ完全な状態で出土した、と市教委が発表した。”云々。
詳しくは2007年11月21日[朝日新聞・朝刊33面]社会欄参照。記事そっくりは
著作の許可が必要なので、省略する。

“高麗寺
朝鮮半島・高句麗から渡来した狛(こま)氏が建てたとされ、約200メートル四方の広さ。日本最古の寺院とされる飛鳥寺(奈良県明日香村)や天智天皇建立の川原村(同)と同型の瓦(瓦=ki−wa/瓦葺=kiwa−jibung・この括弧の内は参照者注])が見つかっており、地方豪族の氏寺にとどまらず、当時の最高権力者と深いつながりがあったとみられる。“

蛇足(参照者注):  かわら=kiwa,kiwa「かわら」無関係だろうか?
  響きが似すぎてはいないか?無理に否定しない方が好い。
山城・san−seung韓国語。(漢字の音読そのまま)が和訓にかわり「やましろ」となった。
「明日香村」・韓国語の「安宿an−suk」の転訛したものか。つまり渡来人の心休まる里であったとおもわれる郷(さと)が転じて・あすかー近現代になって明日香村と当て字して、現在にいたる?奈良は韓国語のナラ=国であることは人口に膾炙して久しい。
 

虎と旅人(完結編)

 投稿者:素里奈  投稿日:2007年11月18日(日)00時16分48秒
   「こういう風な状態だったのですね。虎さんは穴の中にいて,上へあがれない。そしてとおりかかった旅人さんに、救いあげてくれと頼んだ。なるほど、では裁判しますよ。一体この争いは、旅人さんが虎さんを穴からだしてやったためにおこったのだ。つまりなまじなさけをかけたのが争いの種で、はじめのとおりこのままにさえしておいたら、別に苦情はおこらなかったのだ。だから旅人さんは虎さんにかまわず、さっさとこのままお出でになったほうが好いでしょう。これがまず私の公平な裁判です。ではさようなら。」
 と言って狐は、さっさと向こうへ行ってしまいました。思いがけない狐の裁判に、大よろこびしたのは旅人でした。
 「どうもありがとうございました。」
 と,礼を言って、自分も後から立ち去ろうとしました。
 虎は事の意外にびっくりしました。そしてもう一度大声をあげて、旅人に救いをもとめましたが、もう二度と旅人は虎のいうことをきかず、どこともなく立ち去ってしまいました。

(口碑―秦学文氏『朝鮮民話集』渋沢青花著 社会思想者刊(現代教養文庫)
「文中 “棒をおろし、棒を引き上げるフレーズは、参照者加筆」。
 

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